2022年、台東区の浅草寺からすぐそばに開設したとら訪問看護リハビリステーションの特別インタビュー。
会社代表とステーション管理者が何を思い、何を目指していくのかを皆様にお届けいたします。

PROFILE
masuda 石塚 潤一

いしづか・じゅんいち
株式会社ガイサン代表取締役社長。看護師として活躍し始めたころから在宅で働くことを考えており、2022年にとら訪問看護リハビリステーションを開設する。共同経営者の尾関さんとは学生時代からのご友人。



numasawa 尾関 雅雄

おぜき・まさお
とら訪問看護リハビリステーション管理者。SEとして社会人を経験するも介護に興味を持ち看護学校で学びなおす。学生時代の友人である石塚さんと一緒に株式会社ガイサンを立ち上げる。


ー 本日は貴重なお時間をいただき有難うございます。
とら報門看護リハビリステーションについて、お二人について沢山お伺いさせて頂ければと思いますので、よろしくお願いいたしますー

ishizuka

こちらこそよろしくお願いします。なかなかこういう機会がないので少し緊張しますね(笑)



ozeki

ほんとだよね(笑)あまり面白い話ができるかわからないけどよろしくお願い致します。


ー まずは石塚さんのことをお伺いさせてください。
社会人になるまではどのように過ごされていたんでしょうかー

ishizuka

そうですね、特になにか目的意識があった学生ではなかったですね。
周りに流されるままという感じでしょうか。
就職も周りがするなら、というくらいの気持ちで当時アルバイトをしていた看護助手をそのまま仕事にさせて頂きました。
ただそうした経緯からの就職だったので、お仕事に対するやりがい、モチベーションみたいなものがあまり感じられず、「自分の仕事が社会の役にたっているのか」というもやもやした気持ちを抱えていました。

そんな中で、祖父の介護をする機会があったんです。

入退院も繰り返していたし、認知症もあったので本当に大変でした。
実際看護助手でのお仕事と違い毎日家族で面倒を見なきゃいけないわけですから、もう家族も崩壊寸前というか、皆ぎりぎりのところで何とか踏ん張っていたように思います。
そんな生活の中で祖父が入院していた病院の看護師さんに非常に親身に接していただいて、いろいろな相談にも乗って頂いたんです。
そのお陰もあってなんとか何とか乗り切ることができたという経緯があり、看護師というお仕事の社会的役割の大きさに興味を持ち、やってみたいな、と思ったのが、看護師になりたいと思った最初のきっかけでしたね。

ーそうなんですね、ご家族の介護って本当に大変ですよねー

そうですね。認知症の方とのかかわり方も分からなかったので、いろいろと困惑したりもしました。
驚いちゃいますよね、便をしたことを怒られると思って押し入れに隠しちゃったりするんですよ。
あと好きな食べ物も大事にとっておこうと思うんでしょうかね、やっぱり押し入れに隠しちゃうと。
それを、見つけるとやっぱり身内の側もつい怒っちゃうんですよ。
「なんでこんなことするの!」みたいな感じで。
特に私の母親、祖父からしたら実の娘ですけど、やっぱりしっかりしていた父親の姿を見てきてるから余計にね、厳しく当たってしまうこともあったのかなぁ、と。

そういう場面でも看護師さんから聞いたかかわり方を思い出して、家族の側から少しずつ怒らないとか否定しないといったことを意識するようにしたんです。
そうしたら祖父にもやっぱり伝わるんですよね、だんだん穏やかになってくるんです。

やっぱり関わり方って重要なんですね、なかなか家族だけだと認知症の方とのかかわり方なんて知らないですもんね。

お互いにすごいストレスを感じながら生活していたんじゃないかなぁ、と思います。
私が家に帰ったら母親が祖父に馬乗りになって怒ってる姿とかも見たくらいですから(笑)


ー 大学生ですでに沢山の経験をされてらっしゃったんですねー

ishizuka

そうかもしれないです。
でもそれ以外は一般的な四年生大学に通っていましたし、テニスサークルに所属したり友達と遊んだり、ほんとうに普通の大学生だったと思います。
卒業後、社会人になってから、祖父の介護などを経験して看護師を目指そうと思い看護学校に通い始めました。

なのでふわふわしていた大学生時代とは違い、やっと目的意識をもって学校に通うことになりました。

ただ金銭的な問題もどうしても出てくるので、社会人をしつつ看護学校に通うという二重生活でした。
時間的にも結構バタバタしていて、あわただしかったですね。
まだ若かったからできたのかな(苦笑)

それで社会人になって30歳をすぎてから看護師になろうと思い一念発起して行動を始めました。32,3歳くらいのころでしたかね。


ー そうなんですね。
そうしてお忙しい時期を乗り越え社会人から看護師になられたとのことですが、看護師として思い出深いエピソードなどはありますか?ー

ishizuka

訪問看護で働いていた時の経験になるんですが、当時男性看護師限定っていう条件で訪問をさせて頂いていたご利用者様がいらっしゃったんです。
その方はがんの末期の方で、病院の先生とか医療従事者に対してすごく拒否的な方でした。

今思えばご自身の境遇に絶望していて、関わる方につらく当たることで何とかご自身の心を守ろうとしていたのかな、と思うんですが、当時の自分にはそこまで深く読み切れない部分もあったので、大丈夫かなぁ、どうなるのかなと思いながら訪問に入らせていただくことになりました。

最初は訪問入浴を始めるという目的で、お風呂のお手伝いから介入を開始させて頂いたんですけど、もう全然関わらせてくれないんです。
ストマやバルーンも入っていた方だったので看護師として状態確認や、必要に応じてストマの交換なんかも行いたいんですけど、「自分でできるから大丈夫」の一点張りなんです。

結局何にもできないまま介入は続いていたんですけど、やっぱり考えちゃうじゃないですか。
看護師としてやるべきこともできていないのに本当にこれで良いのかなって。

もんもんとした気持ちで介入を続けていたんですけど、ある時ね、お話をしてくれたんです。

奥さんと二人でずっと過ごしてきて、お互い外出をすることなく、二人っきりの空間で毎日四六時中一緒、会話もないような閉塞感に参っていたんだ、と。
そんな中であなたがきてくれるとね、場が和むんです。あなたのおかげで家族の仲も前より良くなった気がします、有難う。とおっしゃって頂いたんです。

その時にすごく思い知らされたんですね。
看護師の役割って医療を提供するだけじゃないんだな、と。

そこからは徐々に心を開いてくれるようになって、お風呂のお誘いにも応じて頂けたり、別の看護師を同行で連れて行った時にもストマ交換の様子を見せてくれたり、とどんどん心の距離が近づいていったことを覚えています。

結局そこから5年くらいでしょうか、最期の時まで近くで関わらせて頂きました。
それだけでも本当に有難い経験をさせて頂き感謝に堪えないのですが、奥様からも介入のご希望をいただいたんです。

「あなたになら安心してお願いできますから」と。

本当にうれしかったですね。
じつは今のとら訪問看護でもその奥様に引き続き訪問をさせて頂いているんです。
こんなにうれしいことってなかなか得られない有難い経験ですよね。

身内だったら良い介護看護ができるというわけではなく、第三者として看護師やセラピストが介入するからこそ上手く回っていく家族関係なんかもあるんだなと気が付きましたし、在宅における看護師の役割ってこういうところにあるんじゃないか、と考え始めたきっかけの出来事ですね。

ー病棟の看護とは違う、在宅ならではの看護に気が付かれたんですねー

そうですね。病棟で退院までを見る、という看護とは本当にまるで性質が違うものだなと思います。
病院での看護って、ようは病院にいる間を無事に安心に過ごしてもらうためにどう力を尽くすか、というものなんですけど、在宅の看護って24時間なんです。
夜中でも早朝でも、どうしたら安全に安心に過ごせるかなって考え続けてるんです。

極端な話、終業のタイムカード切った後もずっとご利用者様のことは気になってます。
今夜はちゃんと寝れているのかな、つらいことはないかな、とか考えちゃいますね。
それが全部良いことかどうかはわからないですけどね(笑)


ー 石塚さん、素敵なエピソードを聞かせて頂いて有難う御座います。
尾関さんも社会人から看護師を目指されたと伺いましたが、お話を聞かせて頂いて良いでしょうかー

ozeki

社会人になるまでは僕も石塚さんと同じようなものでしたね。
なんとなくで一般大学に入学して、IT系の企業に就職しました。
ただ今にして思えば、特別やりたくて選んだ仕事ではなかったんです。
当時ITとかSEみたいなお仕事の需要がすごく増えていて、漠然とそういうお仕事についていたほうが良いのかな、と思って選んだんです。

ー看護師とはまるで毛色が違う社会人生活のスタートだったのですね。
そこからなぜ看護師を目指されることになったんでしょうかー


きっかけとしては僕も石塚と似ているんですが、実は僕の両親が結構高齢なんですね。
今90代に差し掛かっていて、やっぱり親の介護とか面倒を誰が見るんだみたいな話が家族内で起きて、たまたま姉がケアマネージャーをしていたこともあり、僕もこの機会に介護を勉強してみようかな、と思い立ってヘルパーの研修を受けるなど、この業界に足を進め始めました

実際に現場を見せてもらう機会とかが少し増えてきたころに、なんでこれやらないんだろう?と思うような対応がちらほらあったんです。
現場のスタッフさんに聞いてみると「そういう対応は医療的なものなので介護スタッフはやらないものなんです」と教えて頂いて。
でもケアを行う人間の目線で考えたら、もう一歩踏み込んだことをいやればよいのに、って思ってしまったんですね。
ならいっそ、自分が看護師を目指しちゃえば良いんじゃないか、と思い立ち、ITの企業にお勤めはしていましたけど、看護学校に入ることを決意しました。

ちなみに初めて自分の意思でお金を払ってまで学校に通うことにしたので、今まで経験したことがないくらい真剣に授業を受けていましたね。
人の身体の話とか授業で学んでいくと、今まで何にも考えずに生きてきたんだなと改めて思いますし、面白い!って思って授業受けられたくらいなので看護師に向いていたのかもしれないですね。

今思い出すと、看護学校に進むよう勧めてくれた看護師の友達がいたんですけど、尾関は看護師向いてると思うよ、って言ってくれていましたね。


ー まるで違う業界から看護師になられた尾関さんにとって、看護師として思い出深いエピソードはございましたか?ー

ozeki

僕が働いていたのって一般科の病棟ではなく精神科だったんですね。
精神科でのお仕事って大変だと思われる方も多いと思うんですけど、そういう中だからこそ接遇とかすごく求められるので、勉強になることが多いんです。

精神科に入院されている患者さんって結構長くいらっしゃる方も多くて、すごく人を見ているんですよ。あの看護師の日はすごく穏やかで落ち着いてるのに、別の看護師の時には結構問題行動が多い、なんて具合でしょうか。

そういう環境の中で、僕が夜勤に入っている日なんかは、ナースステーションに足を運ばれていろんなお話をしてくださったりする患者さんが多かったんです。
ほかのカリカリしている看護師さんと違って尾関さんがいるときは穏やかな時間が流れるから安心です、なんて声をいただくこともありました。

中にはいつも有難うございます、ってお手紙くれる患者さんもいらっしゃって。
そういう出来事の積み重ねが本当にうれしかったです。

退院されるときにご家族の皆さん含めてお礼を伝えてくれたり、そういう人と人とのつながりみたいなものを感じられたことが看護師として働く中でも印象的でした。

精神科だったので中にはちょっとお伝えするのははばかられるようなショッキングな出来事ももちろんありましたけど、総じて関わりの中で喜んでもらえた、ということが本当にうれしく思い出深いです。

訪問に来てからもやっぱりそういう根っこの部分は同じですね。
自分自身の関わり方にはいつも「あれでよかったかな」と不安になることがあるんですけど、とても丁寧に関わってくれて本当に良かった、とか些細な相談事にもいやな顔一つせず新味になってくれたのでとても安心した、とかおっしゃって頂けたことが励みになっています。

中にはね、本当に短い期間しか関われないご利用者様もいらっしゃるんです。
お看取りの時に、こちらとしてはもっとこうしてあげたい、こうしてあげたかったなんて思いは日常茶飯事なんですけど、ご家族から「皆さんのおかげで良い最期を迎えられた」とおっしゃって頂けると、本当にうれしいしもっと頑張らなくちゃな、と思います。


ー ここまでのお話でも感じましたが、お二人は本当に人と人のつながりを大切にされてらっしゃるんですねー

ozeki

やっぱり在宅って、その方の生活圏に入ってかかわりを持たせていただくので、医療の提供はもう最低限の当たり前のこと、それ以外のプラスアルファの部分を皆さん求めてらっしゃるのかな、と思っています。
病院だと看護師皆が提供するものも一緒だし、誰が来てもサービスとしての質は変わらないんです、そうあるように作られていますしね。

ただ在宅になると、そこが全然違うのかな、と。
関わる看護師やセラピストが如何に患者さんのことを考えて、皆さんの人生に伴走させてもらうか、が一番大事じゃないかな、と思います。


ー 有難うございます。
ちなみに全くの余談になりますが尾関さんはおいしいパン屋をめぐるのが趣味とかー

ishizuka

有名な話ですね(笑)



ozeki

そうですね、ただパンだけってことではなくて、おいしいもの全般というか(笑)
台東区とか墨田区はそういうお店も多いので訪問していて見つけるとちょっと毎日が幸せになります(笑)


ー それでは本題に戻って、お二人のそれぞれの経緯からとら訪問看護リハビリステーション立ち上げのお話をお伺いさせて頂きますー

ishizuka

私は実は看護師になろうと志した時から在宅の看護師をやりたいと思っていました。
なので看護学校でも訪問在宅研修とか在宅の単位を積極的に取りにいってました。
それからも在宅の訪問看護にいく為にはどんな知識やスキルが必要かを逆算して働く環境を変えていきました。

起業についてもずっと頭の中にはあって、ただタイミングとかも良く考えなきゃいけなかったので、いつにしようかなと働きながら考えていました。

そんな中で、当時働いていた訪問看護ステーションで介入していたご利用者様が電池が切れちゃって困っている、というお話を伺ったんです。

当時の社長にその旨お伝えして、買ってきてもよいかと確認をとった時に「それは看護師の仕事じゃないからね」と一蹴されてしまって。

確かにそういわれればその通りなんですけど、せっかく在宅で働くならそういう細かな制約を取っ払った働き方がしたいと思い、起業しようと決めたんです。



−そうなんですね、尾関さんは起業から関わられているんでしょうかー


ozeki

そうですね。
じつは僕たちは看護学校の時からの知り合いなんです。


−長いお付き合いなんですねー

ishizuka

正確には上野の准看護学校で同級生だったんです。
ただ正看護学校からはもう別々になりましたし、就職先も全然別でしたね。

ただ学校時代に気があったこともあり、プライベートでは交流はずっと続いていましたね。


ozeki

もう結構長い付き合いだよね。


ishizuka

実際准看護学校って一クラス40人くらい学生がいるんですけど、そのうち男性は10名くらいしかいなくて、人数がすくないこともあって割と皆仲が良かったんですよ。
加えて僕らみたいな社会人経験組となると、ひときわ落ち着いちゃってるというか(笑)

多分必死さも出てたんだろうね(笑)


ozeki

あとは割と境遇が近いというか、似た道筋をたどってきたこともあって気が合ってよく話すようになりましたね。



ishizuka

それで僕が当時務めていた会社の在宅部門で働かないかと尾関さんに声をかけて賛同いただいたのでそこから二年間くらい同じ会社で在宅を経験しました。

そこから本格的に起業にむけて動き出して2022年の4月からとら訪問看護リハビリステーションを始めさせていただきました。


ー 起業、そして最初の一年を走り抜けてみてどうでしたかー

ishizuka

やっぱり起業した先輩とかにたくさんお話を聞いてどれくらいで会社が安定した、とか一年続けると患者さんがどれくらい増えるのか、とかいつになったら自分たちがそこまで届くのかな、とかそういう不安は常にありましたし、正直今でもあります。



ozeki

確かにね。前職時代も含めて今まであんまり営業活動ってしたことがなかったんです。
なので手探り状態でなんとか頑張ってますね。

あとやっぱり管理者という立場もあるのでやっぱり気は張りますよね。
ただ面白いもので、それが苦痛なのかといわれるとそうでもないんです。
ちっちゃい疲れは日々もちろんたまっていきますけど、どーんとでっかいダメージが来るわけではないんです。

だからもちろん大変なこともありますけど、総じて面白いと思えてる感じでしょうか。



ー やっぱり大変なことが多いですよね。
でもそれを面白いと感じているお二人の前向きな姿勢が皆さんにも良い影響を与えているんでしょうかー

ishizuka

やっぱり皆が帰りたくない事務所にはしたくないですからね。




ozeki

そうそう、やっぱりそういう会社ってうまく続いてかないとおもうんだよね。

ただ、だから皆一緒でなんでも仲良し、みたいなことは特に求めていないですね。
やっぱり皆大人の集まりだし、プロフェショナルの集団なので、同じ目線で無理に強制とかしあうことなく、目の前のご利用者様のケアにそれぞれが注力できれば、それでよいというか。



ishizuka

あと現状のとら訪問看護はまだ人も少ないし組織と呼べる規模ではないので、これから二期目、三期目と走っていく中で出会えた仲間と一緒に少しずつ大きく強くしていきたいなと思っています。

今は本当にスタッフ皆さんの個々の力に頼ってばかりというか、皆さんのポテンシャルにむしろ我々が助けて頂いている感じです。
これから少しずつ会社として、皆さんがもっと安心して働けるように、環境を整備していくところが我々の頑張りどころかなと思っています。


ー お二人にとって理想の会社の姿とはどんなものでしょうかー

ishizuka

今までのお話と繰り返しになっちゃうかもしれないんですけど、僕は訪問看護ってサービス業だと思ってるんです。
医療を提供することは当たり前で、その結果にお客さんが満足してもらえなかったらそれは良いサービスじゃないよね、と思うんです。

どうしたらご利用者様に喜んでもらえるサービスを提供できるか、ということをスタッフ皆に考えてほしいと思っていますし、そういうことができる人たちの集まりでありたいと思っています。
それが結果としてご利用者様の満足につながるし、そこで得られる喜びみたいなものが会社の発展につながっていくのかな、と思っています。




ozeki

石塚さんに言いたいことほぼ全部言われちゃったな(笑)
僕もほぼほぼおんなじです。
やっぱり訪問看護はサービス業だという部分に賛同していただける人達で集まっていきたい、そこを一番大切にしていきたいかな。

やっぱり人と関わるのが好きな人じゃないと難しいお仕事だと思うし、ただ病院よりも働きやすいから私は決まった時間だけ看護を提供するだけです、というような方にはちょっとうちは合わないかもしれないですね。

まぁ選り好みできるような立場じゃないのも事実なんですけど、それでも一緒に働いてくれる仲間には、気持ちを大切にしてほしいな、とは思っています。



−お二人が一緒になって起業をした理由がわかったような気がしますー


ozeki

あとはね、そういう思いをどうやって伝えればよいのか、という部分に今一番悩んでいますね。
やっぱり看護を提供するっていうのは当然当たり前として、それ以上のものをスタッフに求める時、それ看護師の仕事ですか?って言われちゃうこともあります。

その方の看護感みたいなものももちろんあるので強要するものじゃないですしね。

だから我々の想いを伝えたときに、私も頑張ってみます、と思ってもらえるように我々がどう成長していくかが重要なのかな、と思っています。



ishizuka

本当にそうなんです。
ただ現状は本当に有難いことにとても良い人に巡り合えているな、と感じています。
だからこそスタッフの皆が安心して働けるように、我々が屋台骨を強化していかないとな、と思います。
その延長線上にね、我々の持っている想いみたいなものが皆に理解してもらえると嬉しいです。


ー 最後に、働く社員さんにとってどのような会社にしていきたと考えていらっしゃるか教えてくださいー

ishizuka

まだまだ小さい会社なので、特にこれをやっちゃダメっていう制約は極力設けたくないなと思っています。
もちろんそれはお客様の満足に繋がる、という前提はありますが。
その先にあるもの、満足の先にあるものであれば、なんでも気軽に意見を言って頂きたいですね。
そういう意見を「やってみて」と応援できるような会社でありたいです。




ozeki

本当にそうですね。
そういうスタッフ個人個人の思いを無下にせず、聞いて、皆で考えて、どんどん伸ばしてあげたいと思ってます。
もちろん皆が皆そういう気持ちでということは難しいとも思いますけど、気持ちのある人を応援してあげたい。
きっとそれが社風にも繋がってくるんじゃないかな、と思っています。
やりたいことがあるのに変に空気を読んじゃって言いづらい、とかそういう環境にはしたくないですね。

実際ね、どういう思いで接しているのかって、結構患者さんに伝わっちゃうんですよね、
同じようにケアに当たっていても、この人はなんか誠意を感じないとか、逆にこの人にはもっと話を聞いてもらいたい、とかね。

精神科のお話になっちゃうんですけど、患者さんにとっては我々看護師も治療の為のお薬の一つなんです。

この看護師が来てくれるから最近調子が良い、とか実際に健康状態がよくなったりすることってあるんですよ。
もちろんその逆で、あの看護師と関わるようになってから状態が悪化した、なんてこともあります。
良くも悪くも看護師がお薬として与える影響って大きいんです。

これって特に精神を病んでしまった人に限った話ではなく、普通の状態のご利用者様だって、この看護師が来てくれて楽しいって思う気持ちが長く続くと病気が良くなったり、それ以上悪化せず維持できたりすることはあります。

だから私たちが関わることで、ご利用者様の状況が良くなっていくという想いを皆さんにもっと体験してほしいなと思っています。
最初はね、一歩踏み込むのって躊躇もするし、戸惑うことも多いと思うんですけど、我々も精一杯サポートするので、とら訪問看護で働く皆にはそういう想いをどんどん体験してほしいですね。



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